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ところで私は「宝島社」の広告が好きです。
それは広告と時代が二人三脚しながら潜在的真実を常にアバンギャルドに
表現しているからです。
時に見慣れない言葉が飛び込んできた思うとそれをゆっくりと消化して行く
ように数年後、「なるほど!」と思う。そして改めて「すごい!」って思うのが楽しい。
有名で面白い広告をいくつか紹介すると
■「おじいちゃんにも、セックスを。」
1998年
高齢化社会に伴う老人の基準を見直そうという広告
-------------------------------------------------------------------------------
■「生年月日を捨てましょう。」
2003年
年令に縛られない世の中をうたった広告
-------------------------------------------------------------------------------
■「国会議事堂は解体」
2002年
負の流儀にとらわれた国会システムをゼロから見直す広告
-------------------------------------------------------------------------------
そして今回取り上げるのは
■「呼び名を変えれば、日本も変わる(かも)」
2003年
という広告です。
ビジュアルとしての広告ではインパクトを薄いが
内容としてはとても面白いモノを感じました。
「呼び名」それ自体が人々の意識を呪縛している可能性について考えた広告。
「言霊思想」という言葉があるように、古くから日本人はものの名前に
呪術的な作用があると考え、単なる記号以上の意味をこめて来た。
そこへ、実態とかけ離れた名前に対して、変革への期待と少しの皮肉を
込めて「言い換え案」を提唱したのがこの広告です。
この中でも特に面白いと思ったのは
□官僚→公僕員
□義務教育→サバイバル基礎コース
□生命保険→死亡保険
□ひきこもり→天才予備軍
□風俗嬢→ビタミンガール
□浮浪者→路上哲学者
□遺憾の意→ごめんなさい
なるほど!ちょっと呼び名を変えただけでこんなにも世界が明るくなるのか~。
呼び名の変換について国語学者の金田一秀穂氏は面白い事を言ってました。
-----------------------------------------------------------------------------------------------
「名前が変わるというのは、例えば「刺身」も「死んだ魚の生の肉」も言ってる
ことは同じなんだけど、ちょっと違うように感じられるということなんです。
「死んだ魚の生の肉」は食べたいとは思わないけど、「刺身」だと食べれます。
でも実際は全く変わらない。つまり僕達は「意味」とか「言葉の希望」を
食べているのであって、「実体」そのものを食べているわけではないんです」
------------------------------------------------------------------------------------------------
要するに我々は言葉によって支配されている。言い換えると言葉によって
そのように考えさせられている部分があります。
我々は想像以上に言葉に頼り過ぎています。
メディアはその人やそのモノに勝手にイメージを貼り付けています。
そうすると「実体」から「言葉」が離れて行き、我々はその言葉によって、
動かされいつの間にか「実体」を忘れて行きます。
例えば、野球の落合監督は「オレ流」野球で中日を引っ張ってきましたが、
本人は「オレ」とは言わないそうです。
星野監督も「ワシ」のイメージがありますが、テレビでは「わたし」と言っています。
その様にメディアは言葉のイメージ操作によって流行を構築しています。
メディアに曝される言葉はそれほど影響力があり、シビアに扱っていかなくてはなりません。
しかし言葉というものは常に進化して行きます。
今若者で流行っている「KY用語」がありますが、正しい言葉では
ないが間違った言葉でもないと思います。実際今、「私」を「麻呂」や
「拙者」とは呼ばないように言葉は流動的で進化するものです。
日本に「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」という使い分けでコミュニケーションを
図るように、「KY 」もまたコミニュケーションのツールとして必要であれば
使えば良いと思います。その時その場所で感じた「言葉」がその言葉の
真意だと思うので・・・(メディアに露出する言葉は別の話です。)
でも実際面と向かって「空気読めない人」と言われるより、「KY」の方が
ユーモアがありその隙間に逃げれるので良いかなって思います。
ただ「株式会社KY」という会社があればお察しします。
さて、話がいろんな方向へフライトして行きましたが、用は言葉に
縛られ過ぎるとなかなか真意にたどり着くことは困難で、自己の思考する
応用力も虚弱して行くのではなかろうかと・・・・現にこの広告を見た私が
「なるほど!!」と思ったのも、縛られている証拠だと思います。
言葉にできないモヤモヤ感というのがひょっとして大切なのかもしれませんね。
それは広告と時代が二人三脚しながら潜在的真実を常にアバンギャルドに
表現しているからです。
時に見慣れない言葉が飛び込んできた思うとそれをゆっくりと消化して行く
ように数年後、「なるほど!」と思う。そして改めて「すごい!」って思うのが楽しい。
有名で面白い広告をいくつか紹介すると
■「おじいちゃんにも、セックスを。」
1998年
高齢化社会に伴う老人の基準を見直そうという広告
-------------------------------------------------------------------------------
■「生年月日を捨てましょう。」
2003年
年令に縛られない世の中をうたった広告
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■「国会議事堂は解体」
2002年
負の流儀にとらわれた国会システムをゼロから見直す広告
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そして今回取り上げるのは
■「呼び名を変えれば、日本も変わる(かも)」
2003年
という広告です。
ビジュアルとしての広告ではインパクトを薄いが
内容としてはとても面白いモノを感じました。
「呼び名」それ自体が人々の意識を呪縛している可能性について考えた広告。
「言霊思想」という言葉があるように、古くから日本人はものの名前に
呪術的な作用があると考え、単なる記号以上の意味をこめて来た。
そこへ、実態とかけ離れた名前に対して、変革への期待と少しの皮肉を
込めて「言い換え案」を提唱したのがこの広告です。
この中でも特に面白いと思ったのは
□官僚→公僕員
□義務教育→サバイバル基礎コース
□生命保険→死亡保険
□ひきこもり→天才予備軍
□風俗嬢→ビタミンガール
□浮浪者→路上哲学者
□遺憾の意→ごめんなさい
なるほど!ちょっと呼び名を変えただけでこんなにも世界が明るくなるのか~。
呼び名の変換について国語学者の金田一秀穂氏は面白い事を言ってました。
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「名前が変わるというのは、例えば「刺身」も「死んだ魚の生の肉」も言ってる
ことは同じなんだけど、ちょっと違うように感じられるということなんです。
「死んだ魚の生の肉」は食べたいとは思わないけど、「刺身」だと食べれます。
でも実際は全く変わらない。つまり僕達は「意味」とか「言葉の希望」を
食べているのであって、「実体」そのものを食べているわけではないんです」
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要するに我々は言葉によって支配されている。言い換えると言葉によって
そのように考えさせられている部分があります。
我々は想像以上に言葉に頼り過ぎています。
メディアはその人やそのモノに勝手にイメージを貼り付けています。
そうすると「実体」から「言葉」が離れて行き、我々はその言葉によって、
動かされいつの間にか「実体」を忘れて行きます。
例えば、野球の落合監督は「オレ流」野球で中日を引っ張ってきましたが、
本人は「オレ」とは言わないそうです。
星野監督も「ワシ」のイメージがありますが、テレビでは「わたし」と言っています。
その様にメディアは言葉のイメージ操作によって流行を構築しています。
メディアに曝される言葉はそれほど影響力があり、シビアに扱っていかなくてはなりません。
しかし言葉というものは常に進化して行きます。
今若者で流行っている「KY用語」がありますが、正しい言葉では
ないが間違った言葉でもないと思います。実際今、「私」を「麻呂」や
「拙者」とは呼ばないように言葉は流動的で進化するものです。
日本に「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」という使い分けでコミュニケーションを
図るように、「KY 」もまたコミニュケーションのツールとして必要であれば
使えば良いと思います。その時その場所で感じた「言葉」がその言葉の
真意だと思うので・・・(メディアに露出する言葉は別の話です。)
でも実際面と向かって「空気読めない人」と言われるより、「KY」の方が
ユーモアがありその隙間に逃げれるので良いかなって思います。
ただ「株式会社KY」という会社があればお察しします。
さて、話がいろんな方向へフライトして行きましたが、用は言葉に
縛られ過ぎるとなかなか真意にたどり着くことは困難で、自己の思考する
応用力も虚弱して行くのではなかろうかと・・・・現にこの広告を見た私が
「なるほど!!」と思ったのも、縛られている証拠だと思います。
言葉にできないモヤモヤ感というのがひょっとして大切なのかもしれませんね。
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