[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
この名前を聞いて私を実際知る人とblogでしか知らない人では全くの印象が違うと思います。
では「白川 諭」ってなんだろうって考えた時、それは、ただの「名前」だということ。
当たり前か。
今回は以前もエントリーしたことあるのですが、「言葉」についての一人会議議事録です。
言葉というよりもパッケージ化された現象の危惧を示唆した内容になると思います。
私達の世界では「生きる」=「社会生活」は絶対の図式です。その中で効率的に
コミュニケーションを図る方法を我々は本能的に取捨選択しているんだと思います。
現在のコミュ二ケーションは管理社会と呼ばれる程によりシステマティックになっていますが、
基本的なコミュ二ケーションツールとしてはやはり「お金」と「言語」だと思います。
日本人同士の日本語という想定の中で現在、私たちは人に何かを伝える程度の言葉を紡ぐことが
可能です。しかし、常に生まれたり、変化したりする言葉もあります。
それが「名前」です。
最近ではやたら「パッケージ化」されることが多いような気がする。
それはネットの普及によって会話よりも文字としてのやりとりが増えてきたからなんでしょう。
できるだけ簡潔な文章にしたいのであれば言葉を「パッケージ化」する方が効率が良いからです。
もちろん社会的認知あるいはサイバー内認知を獲得しなければ、成立はしません。
名前を決めることはコミュニケーションを円滑にする為にはもちろん必要不可欠なことです。
私が危惧するのは「現象」や「傾向」のパッケージ化です。
例えば「ロリータ・コンプレックス」という現象。
で押井守氏が語っています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
幼い少女に欲情する、あるいは幼い子にしか欲情できないという
現象ですが、はたしてそれは、ウラジミール・ナポコフが
「ロリータ」を書く前から存在していたのかということ。
「ロリータ」と名付けられるまでは文化的な行為ではないし、
「特殊な性的傾向を持つグループ」という以上の存在には
なりえなかったはずです。ところが「ロリータ」が書かれたことで、
未成熟な女を求めるという不可解な行為が社会的認知を得る事は
難しくても文化的、あるいは文学的認知は得れたことになります。
未成熟な女子に興味を持っていた男は、自分の中の妙な衝動を、
それまでは自分でも説明できず、戸惑いながら気づかないふり
をしていたはずです。
ところが、それがひとたびパッケージ化された途端にその行為
は確たる文化的行為として追認される。
それどころか、本能として自分の傾向に気づく前に、商品化された
ロリータに影響されて、後天的に特殊な性欲に目覚めるケースも
あるのではないのでしょうか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まぁこれに関しては社会的認知を得れないタブーが
パッケージ化によって文化的認知を得ることができる
というケースで話ていますが、最後の後天的な目覚め
という部分では、本筋を通すことができます。
その他の現象によるパッケージ化というのは
「マザー・コンプレックス」
「うつ病」
「ニート」
「セクシャル・ハラスメント」等
ネット上での発生としては
「秋葉系」
「萌え」
「腐女子」
最近では「草食系男子」とか
後天性を含む危険性の他にあげられることとして
● 現象のパッケージ化は少し違うケースであっても結果が酷似しているだけで
「名前」に収束される求心力を持ち、同じケースとして扱われるということ。
■「パッケージ化された現象」は社会的認知あるいは文化的認知を獲得して
生まれたものなので、可能性がよぎれば洗脳される強さを持っているという事。
■ パッケージ化の行為は現象として終焉を迎えてしまっているので
自己の「何故?」という思考が喪失してしまうという事。
母を慕う気持ちが「マザコン」と馬鹿にされたり、
少し疲れただけで、「うつ病」と自分で理由をつけ、
働く気持ちがあるのに無職というだけで、「ニート」と言われ
プライベートな質問をしただけで「セクハラ」と呼ばれます。
悪い例ばかりを並べましたが、それが逆に良い例になっていることももちろんあります。
ただ今は危険性を示唆している立場なので自重します。
フラクタル、カオス、パワーに通底する統一的な概念は自己相似です。すなわち尺度や大きさの
変化に対する不変性は私たちのまわりの世界の多くの自然法則や無数の現象が持つ属性です。
冪乗(べきじょう)法則
今回の議事録に関して統括できるキーワードがないものかと探してみたらありました。 多分!冪乗則。
この法則から常に人間は束縛を余儀なくされています。
■黄金比
■白銀比
■ユーグリット
■シェルピンスキーのフラクタル
■パレートの法則
そんな法則を今日は紹介します。
黄金比(デザインによる美しいプローモション)
誰もが一度は聞いたことのある比率です。
すなわち1:1.618....の比率です。
右の図のように線ACを点Bで分割したときにAB対BCが
AC対ABに等しくなるときの比率として定義されており、
BC対AB対ACはともに約1:1.618となります。これが
人類はじめての無理数とも言われています。
そんな黄金比が意識してか無意識か様々なモノや場所で
引用されいます。例えば
■トランプ
■たばこ
■名刺
■新書
■ipodシリーズ
■大ピラミッド
■パルテノン神殿
■ノートルダム寺院
黄金比はユーグリットやピタゴラスが発見しましたが、無理数の
存在を嫌い封印しようとまでしたのに、現在では美しい比率とな
っています。元々、ルネサンス期の1509年に数学者ルカ・パチョ
ーリが「神聖な比」という書物を刊行してからだと言われてます
が、今もなおやっぱり美しい比率です。そして驚きなのはそれは
無意識に作り上げたモノが黄金比だったというケースが多いとい
うことです。黄金比率の解明はできますが、それが美しいという
理由は今もなお、わからないのです。本能レベルの問題だと言い
たいところですが、「1:1.618の比率を本能で愛す」って言うのは変な感じがします。
それでも過去の歴史と共に皆が今でも愛す比率です。そして面白いのはそれが伸縮自在の比率だと言う事!!!
パレートの法則(マーケリサーチによるニッパチ)
これも耳にしたことはあると思います。
つまり80:20の法則です。
例えばわたしたちが日夜使うパソコンのハードディスクの中には
多くのアプリケーションソフトが入っていますが、ほとんどの時間を費やすは2割程度らしいです。
有名なのは企業の中で売上げの8割を占めているものが全商品の2割だということ。
また、社員の2割が企業全体の8割の売上げを担っているということ。
これはイタリアの経済学者が見つけた法則で今から100年くらい前に国民の所得を調査・分析し、
上位2割の人の所得が全所得の8割を占めていたという結果がでて、他の国を調べた ところ同様の結果が
出たといことから生まれた法則です。
これはなにも経済界だけではなく、自然界の法則にも当てはまる事例が多いという不思議。
これに関して黄金比と同様あくまでもマーケティングの結果によるもので、何故という疑問に答えるは難しいのです。
これもやっぱりスケールを変換しても変わらない比率だということ。
私は働きアリの様にひたすら働いているのですが、以前働きアリについて調べたところ、実は
働きアリのほとんどがさぼっているのです!!
ショック!しかしだったら、まじめに働いてるアリだけ
コロニーを作ったら凄い集団になるのだろうと思ったのですが、
実際そういった実験が行われたみたいで、そこにまた衝撃な事実。
その凄い集団の中でもごく一部しか働かないのです!
これがパレートの法則に結びつくのかどうかは定かではありませんが
ショックの後に残ったのは、なぜか微笑ましさでした。
2割の社員が8割の売上げを担っているパレートの法則が示すように
全員が優秀だとやっぱりどこかおかしくなってしまうんでしょう?
人はそれぞれに良くも悪くも役割があるのです。
現実を見据え、極端に走らず、中庸を進むことも人間社会を生きる知恵です。
民主主義でさえ現実と乖離された理念で突き詰めていくと危険であると同じように
理想主義に陥ると大変危険になります。
中途半端な民主主義を持つ日本だけど、今はまだこれ以上の社会運営システムを持ち合わせてないのです。
多少の格差ぐらいなら、今の自分の立ち位置を理解しおおらかに許すぐらいの社会がいいのかもしれません。
で、気持ちよく終わろうと思ったのですが話がそれっぱなしで終わりました。
つまり
そういうことなんです!不思議なんです!
だから
おもしろいんです!地球とか自然とか人間とかが!
一年ぶりのBLOGを再開したいと思いますので
どうか皆さん見ないでやって下さい!
以前、二人の人間に同じ質問(思想的な部分)を投げかけたところ
インタバールを要求され、返ってきた答えが一字一句違わない内容でした。
それを聞いた私は、資本主義の崩れていく音と同時に隠喩を含んだ
ニヒリズムな主張を聞いた気がして、未来の行く末に不安を感じました。
今現在、ネットダイブで知識を容易に獲得できる時代になっています。
しかし、WEB2.0のパラダイムシフト以降、知識から知恵を獲得した
発信者の書き込みに、様々な他人の摩擦と反復を経て生まれた曖昧な情報を
曖昧な情報と認識せず発見した瞬間、あたかも知識の獲得として完結する人間が
多くいるような気がします。
それは知恵の格差(サイバースペースにおける知を与える側と受け取る側の格差)
を生むファクターであり、極論で言えばそれが貧富の究極な二極化に繋がる
ことが予見されます。
マスター(与える側)はさらなる知恵を身につけ、人間にとって、これでもか!
という程の便利で都合のよいデバイスやシステムを供給してくれます。
それは時間短縮による緩和的時間の獲得、と同時に解決に向かう身体動作(プロセス)
の放棄、という危険性を孕んでいる。
なぜなら、私は知恵というのは「アクションによって身に付く淘汰された知識」
だと思っているからです。
ともなれば、その身体動作が放棄され、ネットでカロリーも素材もわからない
料理された知識を獲得する行為は、「自己喪失」のトリガーになると
言っても過言ではないでしょう。(考えることを放棄しているので)
そうなると冒頭で経験したように、誰に聞いても同じ回答しか返ってこない。
ネットで泳いでいるモノはあくまで「他人の論(食事)」です。
大切なのは「集(素材)」による「思考(調理)」ではないでしょうか?
チラシは景気のバロメーターと言われていて、景気回復の動向を伝えてくれます。
チラシは数ある広告の中でも、直接メッセージが送れるメディアということで、影響力が
強いのが特徴です。そのチラシには実はありとあらゆる広告理論が凝縮しています。
その一つとして有名なのが
「AIDMA(アイドマ)の法則」です。
■Attention(注意)
■Inter-est(関心)
■Desire(欲求)
■Memory(記憶)
■Action(行動)
の頭文字をとったものでこれは消費者が情報を得てから購買行動を起こすまでの
心理変容プロセスを、五段階に分けてモデル化したものです。
例えばアイドマの法則を右のチラシ当てはめると
□キャッチコピー
で注意(Attention)を引き付け
□商品の質
で関心(Inter-est)を持たせます。
□低価格
で欲求(Desire)をかりたて、
□デザインや期間限定表示
でそのチラシを記憶(Memory)させ
□買いに行こうかな
という行動(Action)を促すのです。
まさに卓越した心理マジックです。
その他にも「AIDAモデル」や「AIDCAモデル」や「AIDASモデル」というのがあります。
近年ではネットの普及と共に大きな変容がみられます。
それは「AISASの法則」の誕生です。
■Attention (注意)
■Interest (関心)
■Search (検索)
■Action (行動、購入)
■Share (共有、商品評価をネット上で共有しあう。
手先のデザインだけでは三流止まりです。
デザイナーというのは徹底したマーケティングのリサーチや
社会の変容、法則をいち早く察知する眼力を持って初めてできる仕事です。
そして、今ハードルを上げてしまった自分に乾杯!!
「3」なんて数字はどこの畑でも掘ればわんさか出てくる。
今日はそんな「3」を議題に一人会議しましたので、議事
録ります。まずは「3」を使用する法則をカテゴライズしてもましょう。
みたいな感じで分けられるかな~。あっ!このカテゴリーも「3」ですね。
では次の格言を「3」という文字を持つものを上記の3つのカテゴリー分類してみます。
■レトリックのパーツとしての「3」■
イギリス民謡に「三匹の子豚」があり、ロシア民謡には
「三匹の熊」があり、また「シンデレラ」は義理の姉を持
つ三人目娘。アンデルセンの「まぬけのハンス」でもロ
シア民謡「イワンの馬鹿」でも二人の利口な兄を持つ三
人目の常識を逸脱した息子である。
三つの異なる、しかも同格の視点=人格が偶然に共存
していながら、それが必然と感じられるのは、さておき
兄弟姉妹であることで、作家は三兄弟姉妹という設定
をやたら好みます。
例えば
を発見しています。
方にある同じ記号論的三角形に行き当たる・・・おっと。
実はヘーゲルで
領域における同じ三項関係を識別(レヴィ=ストロース)する
ことができるだけでなく、この三項の根底にある仕組み(ヘー
ゲル)を排泄的過剰に対する三種類の姿勢において生成可
能だということですね。
・・・・・もう疲れました。ふぅ・・・調べて気づいた事は
どうやらアジア圏は「二元論」か「四元論」がお好きなみたいね。
■芸術の「3」■
絵画の世界ではルネサンス期に幾何学的な構図がいろいろと
研究されましたがその一つとして残っている法則が「三分割法」
や「三分の一の法則」があります。
三点構造が異様に多かった記憶があります。特に感動したの
がラファエロの「こひわの聖母」、「小椅子の聖母」や
ミケランジェロの「トンド・ドーニ」とかとか・・・です。そこで
また「3」のキーワード絵画を紹介します。
・・・・・・なんか、きりがなさそうなのでもうやめときます。
本当に絶妙です。シンメトリーを好まない東洋人は
この奇数が 織り成すわびさびを大切にして欲しいものです。
他に「3」のキーワードは多くあります。なぜ「3」なのか・・・
簡単に語ればとても簡単です。
しかし、確信を得るには迫真性を持った論理をオリジナルで
展開しなければならない。資料として机上にパーツをばら撒
いただけで実証も確信も獲得はしていません。これは一人
ブレスト(ブレーンストーミング)です。 この「3」で何かに気
づくのは俺ではなく、俺たちです
※実はこんな事故にあったのは前回の東京タワーの昭和33
年生まれ333mというとこから始まりました。
とりあえず東京巨大建築レポと写真を本城直季(写真家)風に・・・
■上の写真は黒川紀章の国立新美術館。
想像より小さかったな。
カオスの渦巻く東京には、もっと大きい日本を代表する美術館が必要だと。
五十嵐太郎の東京に対する都市論は若干賛成!
■次は安藤忠雄の表参道ヒルズ。
相変わらずアンニュイな感じです。(良いものもありますが・・・)
ライトのグッゲンハイムミュージアムのようなスロープでした。
腹立だしいのは右の写真。 建築舐めてますね。 プロを自覚して欲しいです。
右の人間は「ここには段があります!気をつけて下さい!」って・・・
この10cmの段の「注意呼びかけ専用ロボット」みたいでした。
中央は同潤会アパートの欠片。
歴史ある建物が安息の地にも行けず、見世物のように過去と現在を浮遊してました。
自分の過去の卒業制作を想起させました。だからこういうの・・・ダメなんだって!!
■最後に東京タワー(内藤多仲と日建設計)です。
至近距離で見たのは幼い頃以来・・・
この歳で下から眺める東京タワーは凄くやらしい気分になりました。
でもやはり圧倒的でした。日々変容して行く都市を昭和33年(ちなみに高さは333m)から
眺めている。 そして自立式鉄塔としては2007年現在も世界最高の高さです。
しかし今、新東京タワー建設の構想が立てられています・・・
東京タワーさんあなたは今何を思っているのですか?